雪の降らない街(2011/11/02)

 四年前。冬。

「雪……だ」
 部屋に入ってくるなり、トイが窓に飛びついた。
 そのまま窓に貼りつき、動かない。
 何か他の用事出来たことは間違いないが、雪が彼から全てを奪ってしまった。
 先に部屋に来て報告をしていたアキと二人でトイの背を暫く凝視していたが、彼は微動だにしない。
「雪がそんなに珍しいか」
 尋ねても暫くは沈黙。
 ややあってから、
「すこし」
 思い出したように返事が返ってきた。
「数年前に、初めて見た。今でも、見ると不思議な感じがする」
「ここら辺じゃ毎年降るからな。出身地では降らないのか」
「うん。……降らなかったと思う」
「トイ。君の出身は……」
「北の方。でも、その中でも南の、海沿いの方」
「その辺りだと、雪は降りませんね」
 会話の間もトイは窓の外を見たままだ。
 はらはらと止めどなく、白い雪は空から降り続いている。
 地面に積もり、草木に積もり、窓枠にも積もり始めている。
 窓辺は冷えるだろうに。
 その冷気を感じ取ろうとするかのように、トイは、窓ガラスに手を載せた。


 朝から冷えていたが、自室を出るときはまだ雪は降っていなかった。
 ルイレンに暇だとぼやきに来たのだが、窓の外の光景に日頃動かない心が僅かに躍った。
 雪が降る仕組みは聞き知っている。しかし、何度見ても不思議な光景に思えてならなかった。
 黒い大地を浄化するように、白が塗り替えていく。
 ずっとこのまま、白いままで居れば綺麗なのに。
 触れた窓ガラスは氷のように冷たく、手の温度を一息に奪っていった。しかし、それが心地良い。
 まだ知らない、何かの感覚に似ているような、そんな錯覚もある。
 故郷に留まっていたら、得ることの無かった感覚と、経験。
「ここはどれくらい積もる?」
「年にもよるが、おまえの腰くらいまでなら埋まる時もあるぞ」
 ルイレンの言葉に、思わずトイは振り返った。
「そんなに?」
「積もったら埋めてやろうか」
「じゃあ、アキと一緒に埋めて」
「なんで私が巻き添えになるんですか」
「一緒なら温かいでしょ」
「埋まる必要性から考えた方が賢明だと思いますけどね」
「つまんない」
 向き直った窓の外の様子は一変していた。
 ルイレンとアキの方を向いていた時間は僅か。その間に、空間全てが白で覆われていた。どこもかしこも、空と地面の間の空間全てが白になっている。
「わぁ……」
 後どれくらい、この景色を見られるだろう。
 後何回、こんな心地になれるだろう。


「雪、か……」
 降り注ぐ白いものとは別に、ルイレンには思うことがあった。
「……」
 やめよう。
 考え始めると、思うことがありすぎてきりがない。
 そして、このままではアキとの話が進まない。
「トイ。若いのをつけてやるから、外で遊んでこい」
「じゃあ、アキがいい」
「なんでおまえはアキにこだわる」
「んー。なんとなく」
「なんとなくじゃ駄目だ。ほら。どうせ用事なんてないんだろ」
「はぁい」
 やっと窓辺を離れ、トイは渋々部屋の外へ出ていった。
 早速誰かに声を掛け、捕まえているのが聞こえたが、子細までは解らない。
「まるで子供だな」
「石から始まって爆発物まで色々詰めてよく投げましたね」
「あいつがか?」
「何言ってるんですか。貴方ですよ。鬼畜にちょくちょく投げてたじゃないですか。まともに当たったことなんてありませんでしたけどね」
「嫌な思い出を語るな」
「後始末が大変でしたよ。ははは」
「……」
 この男、だんだんあの鬼畜に似ていく気がする。
 かつては同じ相手を敵と見なしていたのに。この裏切り者め。
「思うんですよ」
 話に戻ろうとしたとき、アキが窓の外を見ながら口を開いた。
「彼は、雪の降らない街には戻りたくないんだろうなと。だから、貴方の傍になるべく居ようとするし、側近の私をことあるごとに巻き込もうとしたりして」
 息をつき、
「あの寂しがりは面倒ですよ。ルイレン様」
「……解ってる」
 これは自分で招いた業だ。
 出来る限りの所まで、責任は取るつもりで居る。
 自信もない癖に。
 いつの間にか自嘲の笑みが浮いている。
「どうやら、雪合戦の仲間を見つけたようですね」
 外から騒々しい声が聞こえてきて、暗い気分が少し晴れていった。


「D.G.」よりお題「雪の降らない街」(タカツキ)